保証人問題に関わる信頼と破滅。サインする前に、一度読んでください。

保証人サインパパリノの独り言

保証人…、これに関わる問題は後を絶ちません。今回、私も関わらなくてはいけなくなり、金銭的問題はさることながら、人間関係も変化してしまうことを改めて認識することが出来ました。

私の経験を元に、この問題を考えていきたいと思います。

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保証人とは?

大きな意味としては、“身元などを保証する人”と“保証債務を負う人”という事になります。つまり、何かあった時に本人の代わりにお金とそれにまつわることに対応するという責任を負うという事です。

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保証人の種類?

・単純保証人

・連帯保証人

どちらも、トラブルが起きた時に金銭的な問題を負わなくてはいけませんが、その責任の重さが違います。どのくらい違うのでしょうか?

結論からの言うと、連帯保証人>単純保証人…つまり、連帯保証人の方がより重い責任が課せられます。

たとえば、賃金業者から請求が来た場合、単純保証人は「まずは本人に請求してください」と言う事ができますが、連帯保証人にはそのような主張をする権利はありません。

連帯保証人は、本人に資金があるろうがなかろうが、請求が生じた場合は応じなくてはいけないのです。つまり、当事者と同等に近いの立場になってしまうということです。

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連帯保証人と身元引受人の違い?

今回私が経験したのは、数十年間も疎遠状態の親の施設入所に保証人になってほしいと依頼があったからです。日本が高齢化社会となってから随分年月が経った現在、沢山の方が、自分の親や義理の親、兄弟や親せきなど、施設入所時に保証人にサインをされていると思います。

施設入所の時には、連帯保証人と身元引受人が必要になることが多いです。

では、連帯保証人と身元引受人はどう違うのでしょうか?

連帯保証人は、先ほど話しましたが、“契約者と同一の責任を持つ人”ですね。

身元引受人は、入居者の判断能力や支払い能力が低下・不可能な時に、それらに関連した問題に対応する人です。つまり、意思決定を含めた身の回りの出来事の責任を負うことになります。ここには、お金の問題も含まれる場合があります。

例えば、緊急連絡者として、状況にもよりますが、何かと連絡が掛かって来て、たびたび施設等に行かなくてはいけなくなる場合があります。そして、亡くなった時の身柄引き取り(葬儀の手配等も含まれる)から、退去手続き、未払い債務の清算なども含まれます。

連帯保証人と身元引受人、一見似たような性質があるように感じますが、法律によって視点が違っているので、契約書をしっかりと目を通した方が良いです。(特約を付けられて、ほとんど連帯保証人と同じような役割を果たさなくてはいけなくなる場合があります。)

保証人を途中でやめることはできるの?

一般的には、難しいように感じます。なぜなら、保証人をやめる時は、貸主の同意が必要になり、新たな保証人を探し、その人が経済的信用力が高くないと代われない場合が多いからです。多くの場合、貸主が保証人をやめてもいいよとはならないでしょう。

つまり、一度サインをしてしまったら、何かあった時に逃げることは非常に困難と言えます。

保証人のトラブルって?

う~ん…、なんとも言えない。本当に、悲惨な出来事になってしまうことが多いので、個人でどうにかできる問題を大きく超えてしまう場合が多いのが現実です。

そして、多くのトラブルで共通して言えることは、親しい方の保証人になるケースが多く、その後の悲惨なトラブルを予期できずに、契約してしまうということなのです。

例えば、とても親しい同級生から、会社を立ち上げるのに保証人になってほしいと言われたそうです。その友人にも、以前自分の保証人になってもらった恩がありました。また、友人から何かあったら、自分の不動産売却で対処できるので、実際には何もリスクはないと、名前だけだから大丈夫と言われ、断れなかったそうです。

その後、その友人の会社が負債を抱えてしまって、結局保証人に多額の請求が来てしまいました。その結果、自分の事業もたたまなくてはいけなくなったそうです。

トラブルになるケースの多くが、親しい知合いからの申し出なので、人間関係などの余計な要因が関わってきて、正常な判断ができなくなってしまった場合や、リスクをリスクとしてとらえられなくなってしまう場合があるのです。

扶養義務って?

扶養義務とは、自分の子供や親が経済的に自立できない場合に支援しなくてはいけない義務の事です。親子関係は、養子縁組などを除いては、破棄することはできないので、基本的には扶養義務は法的義務と考えて間違いありません。

しかし、親が自分の子供に対しての扶養義務と、子供が自分の親に対しての扶養義務とでは、意味が異なります。

親が子供(未成年)に対しての扶養義務は、どんな理由があろうとも扶養(育る)しなくてはいけません。なぜなら、子供には経済力がないからです。

それに加え、子供が自分の親に対しての扶養義務とは、どんな理由があろうとも扶養しなくてはいけないというわけではありません。なぜなら、親はそれまで自分でお金を貯めたりできたわけだし、貯金や年金もあり、経済力がないというわけではないからです。子供が自分の親に対しての扶養義務とは、子供が自分の家庭や生活を壊してでも扶養しなくてはいけないというわけではなく、あくまでも可能な限り(余剰資金)での扶養義務ということになります。

つまり、親子関係があり、扶養義務があるからといって、親の保証人や身元引受人にならなくてはいけないという法的強制力はないのです。

実際、自分の子供の生活が犠牲になる選択を親は望んでいなし、法律自体が国民の生活を犠牲にするようにはできてません。

これは、冷たいとか、薄情という感情論ではありません。子供にも、自分の生活や家族(妻や子供)を養う扶養義務があり、こちらの扶養義務の方がはるかに責任が大きいことを軽視して、親への扶養義務を考えてはいけないのです。

私の場合・・・

数十年間疎遠の親に関わる保証人をこれも疎遠の兄弟から、やや恐喝的に申し出がありました。親に対しての扶養義務があり、法的責任であるから拒めないとのことでした。何の説明もなく、罵声や怒鳴りながらの恐喝気味な対応でした。兄弟自身は、これまで親にお金を使って来たから、保証人にならないとのことでした。

親戚が親の年金や貯金でやりくりくれるので、お金の心配はいらないけど、足りなかったらその分の金額をその兄弟と折半で対応するらしいが、年金や貯金額、何の保証人で何にお金がかかるのかなどの詳細説明ありません。

扶養義務という法的強制力を建前にした脅迫にしか捉えられませんでした。

怒鳴りながらの罵声や挑発で会話にならず、その後は一歩的なメッセージが数十件送られてくる状態であり、「保証人を拒否するなら、(疎遠の兄弟)と契約書を交わせ!それも拒否するなら、(疎遠の兄弟)が使った金額を請求するぞ!!」つまり、保証人を拒否するなら、お金を請求するという内容でした。

確かに、扶養義務という法的義務があるのはわからないでもないが、子供がいない高齢者もいるし、天涯孤独の高齢者も沢山いる現状で、そのような人が路頭に迷って、道に捨てられることが高齢化社会であり、なおかつ福祉国家の日本にあるのでしょうか?

数十年間も疎遠状態であり、親子関係や兄弟関係は実質破綻していると言ってもよい状態で、扶養義務という法的義務はどの程度の強制力があるのでしょうか?

私にとっては、そのお金を管理するらしい親戚も同様に疎遠状態であり、どの程度のお金の管理能力があるかわからない。そのような方に管理してもらって足が出てしまった金額に対して、しょうがないねと私たちの血肉(生活費)を出せるのだろうか?

足が出てしまう確率や金額の予想もできない状態で、数ヶ月後、数年後に数百万円の請求がくる可能性を軽視できるだろうか?

途中でその親戚や兄弟が逃げることも考えられなくもない。

毎月赤字の生活状況であっても、保証人に応じなくてはいけないのでしょうか?

保証人のサインをしてしまったら、どのような理由を付けても、理由にならなくなってしまう。それ程の法的強制力があるのが、サインです。

これは感情論ではなく、一家の命運がかかる選択であり、自分の家族が路頭に迷うリスクが大きい選択なのだと、直観的に感じました。

そのため、その疎遠の兄弟からの罵声や罵り、挑発などには、非常に不愉快な気持ちになりますが、まったく心を揺さぶられませんでした。なぜなら、私には妻や子供を扶養する義務(生活を守る)があるからです。

弁護士、警察など、いろいろな所に助言や保護を依頼しました。なぜなら、お金の魔力は非常に強いもので、人を天使にも悪魔にも変えてしまうからです。

一度悪魔側に誘い招かれてしまった人が、人間に戻れるためには個人の力ではどうしても足りない場合がほとんどです。

私が十代の時に、一人の友人に言われた事があります。その言葉は、当時の私にはとても強烈すぎました。当時はその意味を理解することはできませんでした。なぜなら、私は自分の手が届く人には皆笑顔でいてほしいと思っていました。その助力なら、何を差し置いてもするべきであるとも思っていました。恩は恩でしっかり返す。それが、人であると。でも、今ならその言葉の本質が理解できます。

“自分の本当に大切な人を守るためには、友人や家族を切らなくてはいけない時がある。それを理解していなかったら、大切な人は守れない。そして、真の友人はその事を理解しているから、たとえ助力ができなくても関係は決して壊れないんだよ。何が自分にとって、大切な人にとって正しいかをしっかり自分の目で、肌で感じるんだ。そうして行くうちに、お前の周りに信頼に足る仲間が自然と集まってくるから。”

皆さんも、もし保証人にならなくてはいけない状況になったら、感情論だけで、決して安易にサインはしないでください。一歩下がって、そして深呼吸をしてから、もう一度考えてください。何が一番大切かを、その責任を果たせるかどうかを。

 

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